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意識のコントロール外

セラピストライフ

先日ある人と向かい合って食事しながら話していたら突然

「そういえば最近のしほさん、ブルーグリーンがテーマなんですね」

と言われました。

え、びっくり!

というのも実はその日の朝、地下鉄の車内で、

そういえばこのところ、ブルーとかグリーンとかターコイス色になぜか縁があるなあ・・・

って、ぼんやりと考えてたところだったので。

だからあまりのシンクロっぷりに動揺しちゃった。

えー、すごい!
なんで分かるの??
もしかして私の心が読めるの??

慌てて尋ねたら、いやいやいや(ちょとまて)と。

そんなの誰だって分かりますよー。
だって今年に入ってからサロンでキレイなブルーのカーディガン羽織ってるでしょ、去年までは小豆色っぽいパープルだったのに。ほかにも最近、アクセサリーとか身につけてるものや、持ってる物がそんな色ですよ、ほんとに意識してないんですか?

言われて恥ずかしくなりました。

「このところ」どころかもう今年に入ってからすでにそんな状態だったなんて!

彼女の言うとおり、昨年末までは、ちょっとラメの入った少しすんだ色のパープルのカーディガンを仕事着の上に羽織っていました。でも昨年末になんとなく家に持ち帰って以降、代わりに持って行ったはずのブルーがなぜかそのまま定着してしまい、パープルはそのまま自宅待機に。

もうなんというか、全然!まったく!意識の外でした。

そしてきわめつけが会計時。

カバンからお財布を取り出した途端「ほらね!」と指されて自分の手元に視線を落とすと・・・持ってた財布がこれ。

見事なまでのグリーンとブルーのコンビネーション!

昨年末にあたらしくして毎日使っているのに、ここに意識がなかったなんて・・・

私のグリーンブルーまつり、今年に入ってどころか昨年末から絶賛開催中だったようです。あはは。

どれだけ自分で自分のことコントロールしてるつもりでも、無意識の行動はそのはるか外側をいくのね。

そういえば!

無意識で思い出した。

この間NHKの「サイエンスZERO」という番組でやってたんですが(サイエンス系の話題が好きでよく見てる)。

アンドロイド(テレノイド)ってあるでしょう、人間そっくりの人型ロボットです。「マツコロイド」と言えば分かる人は分かるでしょうか。

あれ、なんかやっぱりちょっとキモチワルイですよね。

それはなんでかって言ったら、一見ひとにそっくりでいて、肌がやはり人工ぽくて、瞳が虚ろで何も見てないとか、生命体としてのエネルギーを感じられないとか(そもそもロボットだし)、まあ色々あるとは思うけど、ひとつに人間とは動きが違うからということも大きいと思うんです。

どんなにスムーズに動いていても、いや、スムーズにぎくーぎくーと動いていすぎるからこそ機械っぽさが出ちゃうというか。

で、そのところをなんとかしようと「アンドロイドはどこまで生身の人間に迫れるか」というようなことをテーマに、ある研究チームでロボットを共同開発したのですね。

(私は開発者のおひとりの石黒氏のファン(そういう言い方が適切かわからないけど)なんだけど、はい、バックグラウンドは省きます。興味がある方は「機械人間オルタ」で検索してくださいね)

で、研究チームは一体人間らしさ、生命らしさってなんだろう?機械に人の心は表現できるのかっていうことを徹底的に追求して、こんなところにたどり着いたんだそうです。

「人間らしさとは「無意識」にこそあるんじゃないか」

ものすごくざっくり言うと、人間が無意識のうちにする細かな動作にこそ、人間らしさ、生命らしさがあるということらしいんです。

その「人間らしさは無意識にある」って言葉に、ぼけーっと見てた私はドキっとさせられました。

会話している時の無意識のしぐさ、瞳の揺らめき、手の動きや身体の細かな揺れ、眉の動き、頭の角度など・・・人ってじっと座っているようで、絶えず無意識に動いているわけですよね。

そういう無意識の動きの中にこそ、多くの感情や言葉、情報が現れてくるということは、体感的にも理解できます。

傾聴やカウンセリングのトレーニングをしていた頃は、常にクライアントの全身を見なさいってよく言われていました。言葉よりもとっずっと多くのことを、身体や手や脚は語る。それをつぶさに聞き取りなさいと。

少なくともひとの動作にはかならずしも意識できるレベルでの意図や作為があるとは限らず、だからこそ生身の人間はエネルギッシュで、美しくて、魅力的なのだなと思ったわけです。

それはもうロボットにはできない世界ですよね。

ん・・・あれ、今日は何を書こうと思ったんだっけ⁇(笑)

まとまらないまま今日は書き散らかしてこのまま終わります。

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