自分自身の
本当の姿を思い出す旅へ
ひとりごと

豊かで満たされた時間

昔から人からよくご馳走してもらうことが多かったのですが、このところとみにその機会が増えています。

親しい友人に知る人ぞ知る有能な器楽、じゃなかった 気学鑑定士 がいるのですが、彼女の鑑定によると私には 食神 がついていて、このタイプの人は食べることに不自由しないんだとか。

そのおかげかしら。

それとも私、そんなにひもじそうに見えるのかしらん。

でも最初はやっぱり人にお金を出してもらったり、よくしてもらうのもすごく居心地が悪くて、なにかで返さなきゃ、なにで返そうか、じゃあ今度会った時は忘れずに私がお支払いしよう、とか、とにかくお返しのことばかり考えていました。

だから「どうせご馳走してくれるのならこんなところじゃなく5万円くらいのフレンチコースがいいので結構です」などと言って笑ってもらったり、本気にとられてヒンシュクを買ったりしていたんだけど、ある日、あー、こういうやりとりもうたくさんだ!と思って全部やめました。

たとえ私がひもじそうに見えているのだとしても、私と美味しいご飯を一緒に食べたいと思ってくれる人の好意は、ありがたく手放しで受け取るようにしています。

嬉しいです、ごちそうさま!と言って。

そうしたらもうね、そうやっていただくご飯がほんとうに美味しいんですよ。

遠慮も負い目もなく、両手放しで余すところなく受け取るってとても気持ちがいいし、なによりそうして気持ちよく受け取ると、お相手も喜んでくれます。

かわりにいただいた好意は別の形で、もしくは別のところで別のどなたかに向けて循環させることにしています。

私が誰かにご飯をご馳走してもらったことや、よくしてもらったことが、違う形で別の誰かに還元されて、そしてそれを受け取った人がまたどこかでそれを回して、それがどんどん循環して広がっていったら・・・と思うと、それだけで気持ちが豊かに膨らんでいきます。

こういう心地いいエネルギーのサイクルを作れる人間関係を持てるようになったのも、勇気を持って、よろこびでつながる関係性を築く方向へ人生をシフトしたからだなあって思います。

なかなか人の好意を受け取れないときというのは、自分で自分の存在価値に素直になれないときなのかもしれません。

でも相手が純粋にそうしたいと思って差し伸べてくれる手を躊躇しないでしっかり握りしめることができたら、そこで弾けて広がる温かなエネルギーをお互いが共有することができるんですね。

そんな風に過ごす時間はほんとうに豊かで満たされた時間です。

RELATED POST