自分自身の
本当の姿を思い出す旅へ
ひとりごと

いまここすらも過去


多くの指導者が言います。

悩み事や苦しみのすべては過去と未来にしかない。
いまここにある(Being here and now)ことこそが現実なのだ、と。

つまり多くの苦しみとは、すでに起きてしまった過去のことで思い悩んでいるか、まだ起きてもいない未来のできごとを心配しているかのどちらかである、ということですね、だからこそ いまここ にあれ、と。

ところがあるギャザリングの休憩時間にそんな話をしていたとき、お菓子を頬張りながらその場の誰かが言いました。

でもさ、厳密な話をするとさ、神経って微細なライムラグがあるわけね。もちろんほとんど瞬間ではあるんだけど「ほとんど」であって、実際は伝達と反応のための時間がそこには存在するの。

つまり、私たちが「いまここ」だと思ってる「いまここ」は、それを知覚した瞬間にはもうすでに過去なわけよ。

ものすごいアイロニーよね、面白いと思わない?

ほほう、興味深い。

いまここすらも過去だとすると、私たちはいつまでたっても永遠に いまここ を知覚することができないということになるね。

まるで禅問答みたいだ(笑)

そしてそんな風に笑いながらその話を聞いて思い出したのが、イギリスに住んでいたハトコの口癖でした。

5歳児だった当時、彼はなにか気に入らないことがあって母親に口答えしたり駄々をこねたり直訴したりするとき、なぜかいつも過去形で主張するというくせがありました。

やだ、それやりたくなかった!
(やだ、それやりたくない!)
それ食べたかった。
(いまそれを食べたい)
ここ痛かった。
(ここが痛い)

目にいっぱい涙をためて必死に訴えてくる5歳児の妙な言葉遣いが面白くて、叱りたいはずの両親も毎回つい吹き出してしまうのでした。

その話をシェアした途端「ああ、その子は全部知っててそう言ってたのね」とか「子供って計り知れないほどの叡智をすでにもって生まれてくるのよ」とその場はかなり盛り上がりました。

さて、バリバリのインディゴチルドレンの彼も、いまや立派な社会人。

日本の義務教育は受けてはいないのですが、帰国後は日本社会にしっかり適応して日本企業で働いています。

あのときの過去形の意味は今となってはもうわからないのですが、なにしろそのときの彼は小さな賢者。

もしかしたらやはり彼はすべてを知ってそんなことを言っていたのかも、といまでも時々思い出すことがあります。

さて、厳密な意味での いまここ とリアリティの概念については、残念ながら私のいまのアタマではうまく説明ができそうもありません。

でもそういう、ナナメ上からというか、ちょっと違う切り口から見る視点、かなーり好きです。

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