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ほんとうにしたいことがなにか分からないあなたへ

メッセージ

ときどき「自分がなにをしたいのかわからない」ということをおっしゃる方にお会いします。

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すべきことをすることが正しい生き方だと思って生きてきたけれど、その結果がいまの人生なら、これは私が欲しかった生き方ではないときづいた。

自分自身を取り戻すために、これからはしたいことだけをして生きていこうと決めたのだが、そうしたところで自分がしたいことがなんだかわからなくなっている

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という内容のご相談です。

いまやっていることが自分に合っているのかわからない、ほんとうはもっと違うことをしたかったのかもしれない、いままさに自分の人生をもう一度考え直そうとしている・・・そんな方に向けて思いつくままに書いてみようと思います。

やりたいことなんてなくても生きていくことはできる

いまほんとうにやりたい仕事を、夢を持ってできている人ってどれくらいいるのでしょうね。

生きがいややり甲斐なんて求めなくても、人は生きて行くことはできます。

学校を卒業してさあ社会に出るぞ、というとき、私にも目標とした職業がありました。

間違いなく「これをやろう」と自分で決めたことだったけど、それはわたしがほんとうにまっさらな気持ちで心からやりたいことだったのかと問い詰められたら、よくわかりません。

何か決めなくてはならないからとりあえずひとつ目標を決めた。

いま思えば「心からやりたいこと」というより「自分にもできそうな候補の中にあったわりと現実的なやつ」。

もちろんずっと夢見た職業に就いて、理想の環境でお仕事をしている方もたくさんいらっしゃると思います。

しかしなんのデータも調査もなく憶測で言いますが、私の肌感覚では、過去の私のようなケースの方が現実ではないかと思うんです。

お仕事は楽しかったし、そのときの経験と知識が少なからずいまのお仕事の運営に貢献してくれているので無駄なことはなにひとつありません。

でもやはり、ふとしたときに違う想いが心をよぎったりすることもありました。

あれ?
私ってなにをしようとしてるんだっけ??

気づきのタイミングは人それぞれ

自分がほんとうは一体なにをしたいのか、それに気づくタイミングはひとそれぞれです。

3歳で自分の人生をはっきりと明確に決めることのできる人もいれば、60歳を過ぎてからほんとうに自分がやりたかったことを見つけた!と話してくださった方もいます。

実際やりたいことなんて、経験を積んで視野が広がったことではじめて出てくることなのかもしれません。

それまでにかかった時間や経験が、すべてそこに至るまでのプロセスの一部だったっていうだけで、自分がしたいことに気づくのが遅いから悪いとか、早いからいいとかでは決してないわけです。

さて、そこで。

自分がほんとうになにをしたいか、です。

外側の基準に合わせて考えているうちは見つからない

外側の基準とは文字通り、自分の外にある基準です。

いまこれをやっている人が多いから、仲間がいるから、お金になりそうだから、というのがその例です。

人のために役立つことだから、というのも誰かの評価を得るのが目的なら、それは外側の基準です。

多くの場合、ここが第一のつまづきポイントだと思うんです。

外側の基準に合わせていくやり方は一見合理的に見えますが、その基準がある間しか価値がありません。基準がなくなれば魅力もモチベーションも根本から崩壊します。

お金のために始めたものはお金にならないとわかればやる価値がなくなるし、仲間がいるから始めたものは仲間がいなくなければ危うくなります。評価をされたくて始めたものは、期待した評価が受けられないと分かれば、もはや続ける意味がなくなります。

それに、やることの意味に自分自身の内側が反映されていなければ、いずれかならず、その人の中で歪みや違和感を生み出します。

なぜならそこに「あなたの本質」がいないからです。

そもそもなにかしなくてはならないわけではないんです

いきなり元も子もないようなことを言うように思うでしょうか。

しかし実はこれがいちばん誤解が多くて、私自身も痛感していることですが、別になにかをしなくてはならないわけではないんです。

重要なのは、なにをするか ではなくて どうあるか の方です。

どうあるか が明確であれば、自分の行動すべてが自分のあり方をベースに実現されます。

どうあるか、とはつまり、自分の本質で生きるということです。

本質で生きるってどういうこと?

本質とはその人本来の力のことです。

その人本来がもつ愛のエネルギーとも言い換えることもできますね。愛こそが本質だからなのですが、このことについてはまたいずれ詳しく。

ひとは誰でもその人本来の輝きを持っており、その輝きを生かして生きることをテーマに生まれてきています。

文字にすればこれだけなのですが、これは私自身もずっと課題としていることで、簡単ではないことも知っています。なぜ簡単でないかの理由は後で説明しますね。

実は自分の本来の輝きである本質に気づく、ということ自体はそれほど難しいことではありません。プラーナロマーナの個人セッションではまさにその部分を明らかにしていきます。

問題となるのはその輝きに気づいた後、そのエネルギーを全開にして生きていくことの難しさの方です。

残念ながらいまだに多くの人は、自らの輝きを分厚い鎧に隠して生きることを選んでいるようです。

それも当然で、なぜなら現代社会はそれらを前面に生きていくことの方が難しいシステムで動いているからです。

みな同じ方向を向いてひとつにまとまってくれていた方が、管理しやすいからです。飛び出す杭はめんどくさいのです。

そういうふうにわたしたちは、きっちり教育されてきたのですね。

子供の頃はそのままで奔放に生きていたのに、成長するに従って翼を隠してしまう人が多いのはですからある意味仕方ないことだと思います。

私にはもうこれは見せちゃいけないんだ、と、しまいこむことを決めた瞬間の記憶があります。

いまでも多分実家のどこかにその時に書いた日記があると思うのですが、そのときのことを思い出すと、その方が目立たないし危険ではないと考えていたようです。

いまこそじぶんの本質全開で生きる勇気を

とはいえ「私たちの時代はそう言う教育を受けたから仕方ないよね」で終わっていくのではあまりにもつまらなすぎます。

時代はゆっくりですが確実に変わりつつあります。確実に、です。

これまで主流だった、誰かの基準にあわせて権力のある人に取り立ててもらえばよかった生き方は、今後は通用しなくなるでしょう。

これからは自分で考えて自分で責任を取る時代に突入します。言い換えれば自分次第でどうとでもできる時代ともいえます。

そしていまの若い人たちの多くが、この先の時代を牽引していくようなパワフルな力を持って生まれてきていることについてとても頼もしいと思っています。

しかし私たちオトナ世代にも私たちの役割があって、この地球に存在しています。

時代の過渡期にあってなかなか面白い課題を抱えてやってきた世代なのかもしれません。

しかしいまこのブログをご覧になってくださっている方は、きっとその役割について自覚をお持ちではないでしょうか。

気づかないふりをしているか、確かにそうだろうけど、それは私ではない、とお考えでしょうか。

私にはセッションを通して相談者の魂の本質を一緒にみていくことはできます。

そしてその方が本来のその人自身を生きることの邪魔をしているもの(思考の型やエネルギーの滞り)を見つけて、それらをほどき、流して手放すことをお手伝いをすることもできます。

しかし私のできることは、古くなったお荷物を捨てることを手伝い、身支度を手伝い、スタート地点に相談者をご案内するところまでです。

自分本来の輝きを全開にしてこの先を生きていくということを、スタート地点に立った相談者本人がご自身で決めて宣言する必要があります。

自分がほんとうに大切に思うのはなんなのか。

この人生で何を学びなにを得ようとしているのか。

もしお金や時間の問題や制約が一切ないとしたら、自分がこのさき生きていくために一体なにをしたいのか。そしてなにが必要なのか。

そこから自分の本質を生きることの意味について考えてみていただけたらなあ、と思います。

私も常に考え続けています。

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