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自由とは選べること

ひとりごと

朝の連続ドラマの中で、ヒロインが言ったあるセリフが耳に残りました。

自由に生きろって人は言うけど、じゃあ自由ってなんなんですか !?
自由って選べるってことでしょ?
だったら私はこの人生を自分で選んだんです!

正確にはこの通りではないかもしれないけど、まあこんな意味のこと。

私はこの「自由とは選べるということ」というところに、おおーっと思いました。

自由とは選択肢があることってところに。

選べる、選んでいいっていうところに。

そういえばいつだったか電話で話していたとき、突然実家の母がこんなことを言い出しました。

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最近ね「『いまここ』を感じてあなたの魂の声に耳を澄ませましょう」とか「ほんとうのあなたを生きましょう」とか「魂の使命や目的に気付きましょう」とかそんなの、やたらと言うじゃない?

なあに? あれ・・・

そんなこと考えたこともなくこの歳まできたのに、生まれて来た目的や使命なんていまさら知りたくもないしうっとおしいわ。

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ちょっとびっくり。

田舎暮らしの母の限られた行動圏内でもそういった情報に触れてくるとは、さすが私の母。

そして親子だなあって笑ってしまいました。私もだいぶ抵抗したので。

ですけど、あのね。

こういうときにこそ自由に選んでいいのです。
どっちを選んでもよいのです。

重要なのは「ほかの選択肢がある」と知ることだと思います。

そして「私が私だと思っている価値観は、ほんとうに純粋に私のものなのだろうか?」といちどくらい本気で考える機会を持つこと、と。

そのうえで、やっぱりこっちの慣れ親しんで安心できる(と思える)価値観でいく、もしくはいかないって決める自由を享受すればいいんです。

ただ、これは私の経験から申し上げるのですが、突然やってきた突風みたいなヒントに、なぜか苛立ちや腹立たしさを感じるのだとしたら・・・それこそが自身の内側からのサインだと思います。内側からのノックみたいなの。

まったく興味がないのなら最初からどこにも引っかからないし、言われたハシから消えてなくなるものです。

自分に対してどうでもいいようなことに、人は感情を動かされたりしないのです。

なにか違和感を覚える、どこか引っかかる、モヤモヤするのになぜか気になる、苛立つ、うっとおしい・・・そういう複雑な感情のさざ波が自分の中で沸き立ったら、それこそがなによりのサイン。

そこはできたら無視しないで欲しいのです。それがなにを意味するのか、それが自分の中でどう語りかけてくるのかを、静かにただ、感じてみて欲しいんです。

ムスメとしては母を全面的にサポートしたい気持ちでいっぱいだけど、なにを選ぶのかは当事者の完全なる自由意志に委ねられています。

誰もその自由は奪えない(もし奪われているような気がしているのなら、それはそう思う人が作り出した歪んだ現実であって、ほんとうはほんとうに、どこまでも自由でいいんです)

ついつい自分の体験から私のエゴセルフはおせっかいを言いたくもなるのですが、悩むのも選ぶのもその人に与えられたギフトであり、チャンスでもある。

どう生きるかは自分で選ぶことができるし、そうする、もしくはしない、と決めることもできる。

その選択肢はすべての人が持っていて、そのことに気付くのに遅すぎるということはないと思うのです。

ですから相手がクライアントであっても、親友であっても、自分の母親であっても、私はただじっと見守るだけです。私もそうされたいから。

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