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「笑いの破壊力」という言葉の意味を実感したできごと

ひとりごと

最近ボランティアで10歳以下の子供たちのいる施設に出入りしています。

まっすぐで全力な子供たちは衝突するときも全力で、男の子も女の子もいさかいが日常です。

大人みたいに「ま、いいか」などとため息のひとつでもついて妥協するなんてことを一切しないので、彼らはいつだって全力で互いの主張をしあいます。

大粒の涙をボロボロこぼして小さな体を二つに折り、大声で不満をぶつけあう様はある意味壮観ですらあるのですが、そのわずかあとにはわりにケロリとしてまたじゃれあったりしています。

先日非常に興味深い体験をしたのでそのお話をシェアします。

食細胞・マクロファージ

その日も子供に呼ばれてついて行ってみると、すでにグラウンドではドッチボールのボールを巡って、殴る蹴るの取っ組み合いが繰り広げられていました。

周りで遊んでいた子たちも、心配してわらわらと集まってきました。なだめようとする子、なにがあったの?とヒソヒソする子、大丈夫?と声をかけようとする子。

私は中央に割って入って取っ組み合いの腕を掴んでふたりを引き裂いたのですが、形勢は圧倒的に身体の大きな子の方に優位で、もうひとりの小さな痩せた子は悔しさに奥歯を噛み締めながら、金切り声をあげて泣き叫んでいました。

そこへあとから集まってきた全然関係ないの集団の中からひとりの子が突然飛び出してきて、こともあろうか顔を歪めて悔し泣きしている子に向かって、ゲラゲラと笑いながらばかみたいな変顔を見せてくるではないですか。

私はあまりのことに見かねてその子をたしなめました。

しかし意外なことに、それまで金切り声をあげて赤ん坊のような泣き方をしていた子の身体の緊張がふいに緩み、膝をついて座りました。

そしてふざけていた子の変顔を見て、やがて声を立てて笑い出したんです。

ケンカの相手の子もつられて笑い出し、周りの子達もなんとなく一緒に笑顔になり、あれほど緊迫していた取っ組み合いの緊張が水を撒くように解けてゆきました。

心配して集まった子供たちも「やれやれ」といった感じでまた元いた遊び場にちりぢりに戻っていき、一体さっきの騒ぎはなんだったの?というくらいあっさりと幕が引かれました。

まるでわらわらと免疫細胞・マクロファージが集まって異物や不要物を食べ尽くしてしまったかのようでした。集団の治癒力みたいな子供たちの力を見せつけられた気がして、私はほとほと感心してしまいました。

同調することはエネルギーを与えることと同じ

いま、世の中を恐れの目で見ている人がとても多いと感じています。

災害や事件、なにか不安なことが起きた時、つい恐れの視点でものを捉えがちになるかもしれないのですが、できごとや問題に関する感情的反応は、自分で選べるんだということを知っているのとそうでないのとでは、人生の質が全く違ってくると思います。

怒りに震えた人や、悲しみに沈んでいる人に、とびきりの変顔を見せておどけてなぐさめるなんて、これはもう大人の感覚では到底考えつかないことです。

つい共に肩を抱いて苦しみを分かち合おう、という方向に意識がむきがちかもしれません。

しかし怒りや悲しみに同調して同じものを放出することは、それらのエネルギーを助長するだけです。

笑いは真逆の効果を持っている、そして問題を解決するために当事者の感情に同調している必要はまったくないのだ、子供たちはそんなことを頭ではなくもっと深いところで知っているのかもしれません。

私たち大人こそ、大いに学ぶべきだと考えさせられました。

お調子者くらいが調子いい、のかも

ちなみに変顔をして場の空気を一掃してしまった子は、普段からとても元気でムードメーカー的存在です。

いささかお調子者具合が過ぎることもあり、またしょっちゅう動き回っていてなかなか捕まえることができないのですが、終始ハッピーでいつも笑っています。

人の和の中にはお調子者がいて調子がいいのかもしれません。

なによりお調子者は「調子」がいいんですもんね、全体のリズムや調和にも関わって当然ですね。

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