気づきと発見

食べるという行為

よくいろんな方に「あなたはセラピストでしかも薬膳の指導もされるのだから、日々の食事はきちんと管理されているのでしょう?」と言われるのですが、実は・・・

「いいえ」

白状すると、私の日々の食事はかなーり奔放なんです。

心身面で不調を感じたとき、なにか目的を持って薬膳を取り入れたいというとき(※)以外は、自分の好きなもの好きなタイミング好きなだけいただく、というのが基本です。

(※)しっかりと施膳・献立されたホンモノの薬膳は、身体の不調はもちろん、精神・霊性の乱れも整えるだけの働きをするのです。

そんな私ですが、常々意識していることがあります。

それは「何を食べるかということかそれ以上にたいせつなのは、どう食べるかということ」です。

確かに、出所をはっきりと辿ることができる食材を選んで食す、ということは、安心や安全を語る上ではひとつ、重要なことだとは思います。

実際、自分で食べるためだけにソントク勘定抜きで作った自家栽培の野菜やおコメは、ほんとに美味しいですもんね。

でもね、いくら手塩にかけて作ったお野菜や、有機栽培で農薬を使わず手間暇かけて作られた農作物、品質の確かな高価な食材を集めても、まったく別のことを考えながら上の空で食べていたり、なにか身体に悪いものを食べているのではないかと罪悪感を持ちながら食べていたり、愚痴や文句を言いながら食べているのなら台無しなんじゃないかしら、と思うんです。

そう考えるきっかけは、あるとき食事中に友人がポロリと口にしたこんな言葉でした。

「コンビニで売ってる食品はエネルギーが低いから絶対食べない」という人がいるけど、そんなことは本人次第だと思うの。
たとえば、その商品が棚に並ぶまでには様々な人が関わっているわけでしょ。畑で野菜を作った人、お魚を取った人、調理した人、加工した人、運搬した人、棚に並べた人・・・そうした人たちひとりひとりの手によってその商品が作り上げられていることに感謝しながらいただけば、私は決してエネルギーが低いものをいただくという気持ちにはならないんだけどな・・・

その言葉にハッとなった私は、食べる、という行為にもっと意識的になってみよう、と思いました。

あまりよく知られていないことですが、医食同源をモットーとする薬膳には「方剤施膳の前に、内臓のことを考える」という考え方があります。

方剤=生薬を配合すること
施膳=献立を考えること

薬膳学ではまずその人の体調と体質を見極め、その人の心身を健康に導くためにいまいちばん適した献立や生薬の調合をオーダーメイドで組み立てます。

つまり、薬膳の考え方だと「万人に共通した良い食材」も「万人に共通した悪い食材」も存在しないということになります。

方剤施膳の前に、内臓のことを考える」とは、なにかを口に入れる前に、受け皿となる胃腸の状態まで考慮して献立を考える、ということです。

胃腸を畑と見立てるならば、まず食材という肥しを撒く前に、胃腸という名の畑を耕しておこう、ということですね。

それはこれから口にするものの恩恵を、あますところなく受け取るための知恵だと思います。

こうしたホリスティックな考え方はおそらく薬膳の特徴的なところで、こうした考え方は現代の栄養学では考慮されにくいところではないかな、と思います(実際にやっている方がいらっしゃったらごめんなさい)

でも考えてみたら、私たちが食事をするということは、単なる生命維持のための栄養摂取以上のものです。

確かに食材を物理的に受容するのは消化器かもしれないけれど、エネルギーレベルで考えたら、私たちは全体(肉体という枠を超えたレベル)でその食材を受け取っているわけですよね。

例えば、食材の色、香り、形、歯触りなど、さらにはともに食卓を囲む顔ぶれやその場の空気、そういったものすべてを私たちは味わいとして、エネルギーとして受け取っているはずです。

そしてさきほどの胃腸の話を拡大解釈するならば、食事の際の私たちの状態そのものが荒んでいたら、いくらよいものを口にしたとしてもそれらをきちんと受けとめきることができないんじゃないかと思ったわけです。

そんなふうに思って以来、私はひとりで食事するときには居住いを整えて、食事のことだけに集中することにしました。

そして目の前の、いま自分が食べているものにこころを向けて、ただそれを食すということになるべく心を注ぐようにしています。

なるべく、というのは、ひとりで食事をするときなどは、油断しているとマインドがあっという間にふらふらと空想やら妄想やらの旅に出てしまうからです。

目の前の膳に集中し、口に運ぶひとくちひとくちに意識を向けて丁寧に、咀嚼する野菜の繊維一本一本の歯ざわりまで感じるくらい丁寧に食事をしてみると、いかにこれまで自分が「食べる」という行為をただ無意識にしていかが実によくわかります。

そして同時にそのように食事をすることで、様々な感覚が繊細に磨かれることにも驚きました。

感じることができるのは単なる味覚や嗅覚、触覚などの五感などはるかに超越した、まったく別の次元のエネルギーです。

とはいえ食事をとるということは、コミュニケーションの手段だったり、仲間や家族同士の絆を確認しあうことのできる場であったり、またリラックスすることやエンターテインメントでもあります。

食事のたびに瞑想するのは現実的ではないにしろ、たとえばひとりで食事をするようなとき、意識を目の前の一皿に集中させていただく、ということを、やってみたことのない方にはぜひおすすめしたいな、と思います。

これまで見えていなかったとてつもないものに、かならず気づくはずですよ。

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pranaromana SHiHO
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世界中からやってきたアロマとクリスタルとともに、相談者が自身の奥底に眠らせている固有の輝きに目覚めるサポートをしています。 その輝きを覆い隠しているものがあれば、その正体を探り、癒しの光を当てていきます。 IFPAアロマセラピスト/国際中医師・国際中医薬膳管理師/芳香・鉱物療術師/(一社)東京薬膳協会専属インストラクター