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気づきなくして単純に外から与えられたものは真実にはたどりつかない

心と身体

 

プラーナロマーナでセッションを受けてくださったことのある方はお気づきかと思いますが。

専門家として適切な判断をして的確にお答えする必要がある場合を除いて、しばしば受けた質問に対し、逆に質問でお答えすることがあります。

あなたはどうしたいですか? と。

それは私のセラピストとしてのあり方として、クライアント主体というのをモットーとしているからです。

まだバリバリの新米のセラピストだった頃。

筋肉は常に柔らかくほぐれているべき!
骨盤は傾きも歪みもなく左右整っているべき!

と考えていた私は、とにかくどんな小さな歪みでも見逃さない勢いで施術(当時は着衣で行うマニピュレーションや骨盤矯正、カイロプラクティックや整体の手技で施術をしていました)に当たっていました。

でもどんなに苦労してバランスを整えたとしても、数日もたたないうちにもとに戻ってしまう人が何人もいました。

だからますます躍起になって「戻ってしまうには生活習慣に問題があるからだ!」と、姿勢や歩きかたを口うるさく指導しました。とにかく開いてバランスの整った身体こそが「あるべき美しい姿」だと考えていたからです。

そんなあるとき、そんな私の姿をハタからそっと見守ってくれていた先輩セラピストが私の耳元でボソッと呟きました。

[chat face=”man2″ name=”センパイ” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]なんでもかんでも歪みを直せっていうけどさ、身体がそうなりたくてそうなってる場合もあるんだよなー。[/chat]

びっくりしました。

だって、もしそうだったとしたらセラピスト(私)って一体なんのためにいるの??

紆余曲折して私がたどり着いた答えは「そのひとの肉体の声を聞くために私がいる」でした。

首肩が辛い、背中が辛いと言いながらも、身体が緩むことに恐怖心や罪悪感を抱いている方は少なくありません。

そういう状態にある方は、どんなに緩めてもすぐにもとの身体に戻っていきます。

身体を強ばらせることで他人からの攻撃から身を守っている場合や、戦闘態勢を取ることで自分自身を保っている場合、ちょっと信じられないかも知れないけど、居心地の善し悪し関係なく自分で選んでその状態にあるとしか言いようがない方も。

彼らが自分自身をその状態に追い込んだ理由はほんとうに様々なのですが、ただ、共通しているのはその方たちの生活環境や信念体系の中に「身体を緊張させておかなければいけないなにかがある」ということです。

残念ながらすべてではないし、決して簡単なことではないですが、時間をかけてセッションを重ね、自分がそういう状態にあるのだと認識することではじめて身体が緩むのを許せるようになることもあります。

でもそこに至るプロセスにはご本人自身の気づきが必要で、私はそれを見守りサポートするというスタンスでしか関わることができません。

答えはセラピストの私が持っているのではなく、クライアントひとりひとりの中にしかないのです。

気づきなくして単純に外から与えられたものは真実にはたどりつかない、というのが私の考えです。

セッションではゆったりとご自分の心と身体に向き合える環境を整えています。

日常は一旦ドアの外におやすみして、安心して身体を委ねてください。

安心するのが難しいと感じるのであれば、自分に対し言葉にして「いまは安心して大丈夫」と言い聞かせるのも役に立つと思います。

そして、自分自身の中に湧き上がる気づきを受け取ってほしいな、と思います。

私は全力でそのサポートを致します。

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