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さくら日和

セラピストライフ

なんでこう、桜を見ると飽きもせずに(そして条件反射的に)こうしてレンズを向けてしまうのだろう。
 
心動かされたとはいえ撮った写真を見てみれば、どれも似たような写真ばかりなのですが、年に数日間の花の祭典。心踊らされます。
 
そういえば。桜で思い出した。
 
先日ちょっと面白い話を聞きました。
 
満開の桜をみてウキウキと外へ繰り出して行くのは米国人も日本人も同じようですが、花の楽しみ方には大きな違いがあるんだとか。
 
なんでも米国人が「桜のある景色を遠くから風景として楽しむ」のに対し、日本人は「桜のある風景に入り込んで楽しむ」のだそう。
 
つまり桜の木の下にシートを敷いて座り込む日本人に対し、米国人は桜の木全体を眺めることのできる離れた場所に居場所を作るのだというのです。
 
うーむ、なるほど確かに。
 
遠くから離れて眺める桜のある景色はもちろん素晴らしいとは思うけど、やっぱり桜が咲いていたら、私は近くまで寄って一輪一輪を間近で眺めたい。そしてなるべく花の中に埋もれたい。
 
こんな風にして!
 
 
もちろんこれが素晴らしいのは大前提だけど。
 
 
写真は伊勢原の日比多神社にて。
 
先週はまだしっかりと閉じていた蕾が、たった1週間でほろほろにほどけていました。
 
どこまでも朗らかで穏やかで、太陽の光が燦々と降り注いでいて、はじめてこの場所にきたとき、そのあまりにも浮世離れしてみえる透明な景色に、思わず感嘆の声が漏れました。
 
 
足元の春
 
 
 
はじめて見た。あなたはだあれ?

 
 
 
 
春が花々が、愛と歓びを歌っているみたい
 
 
あたり一面が柔らかくあたたかな調和のエネルギーに満ちていて、すべてをわすれて無邪気な子供にかえるような安心感。心地よさ。
 
鳥居をくぐって帰り道、なぜか自然発生的に「ドラえもんの歌」が浮かんできて、パートナーとふたり、そこそこ大きな声で歌いながら歩きました。
 
「ドラえもんの歌」なんて歌ったの、何十年振りだろう、多分子供のとき以来です。
 
なにより驚いたのは、ドラえもんの歌が同時に浮かんできたことでなく、私たちふたりとも歌詞が完璧だったこと。
 
三つ子の魂なんとやら、とはよく言ったものですね。
 

 

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