少し前のことなのですが、お昼におうどんを食べに車で出かけたときのお話です。
お目当てのお店が銀座にあったのですが「あのへん、駐車場にはきっと困らないよね!」なーんて軽い気持ちで出かけましたら、アテにしていたところが軒並み満車で。
あきらめて少し離れた下町風情漂うエリアに一軒の立体の駐車場を見つけ、そこに入ることにしました。
車を回転させる丸い鉄板みたいなところに車を停めたら「はーい、いらっしゃーい」と対応してくれたのは70代くらいのおばちゃま。
とても親しげに声をかけていただきしばらく立ち話(このへんもちょっと前まではねえ・・・というような世間話)などしていましたが、私たちが歩き出すと、おばちゃまは「行ってらっしゃい!」とわざわざ歩道まで出てきて見送ってくださいました。
私も手を振り返しました。なんかあったかいなあ・・・なんて思いながら。
お目当てのお店でおうどんをいただいて、その辺をぶらぶらと散策しながらのんびりと駐車場に戻ると、出庫はおばちゃまのご主人とおもわれる丸顔のおじさまが対応してくださいました。
おばちゃまほどはおしゃべりされなかったけど、やっぱり親しげでとても温かい方でした。
すっかりいい気持ちでお礼を言って車に乗り込んでいると、ふっくらした両手をあわせ、水を汲むようにお椀型にしたおじさまが、前かがみになってちょこちょことこちらに小走りしてきます。
「はい、お・だ・ちん♪」と、何か秘密のものを差し出すようにそーっと差し出された両手に包まれていたのは、いくつもの小さく個装されたマシュマロとあめちゃん。
わあ、あ、ありがとうございます!
こちらも同じように両手をお椀型にしてそーっと受け取りながら、突然のおだちんにありがたいやらびっくりするやら嬉しいやら笑ってしまうやら。
「はい、おだちん♪」なんて言葉とともに、お菓子をもらうなんて、いつぶりでしょうか。
もうとうに40を過ぎてすっかりいい歳になったつもりでいましたが、一気に子供に帰るような気持ちになりました。
そして私もパートナーも、胸がぽかぽかして、なんだか笑い出したいような、くすぐったい気持ちになりました。
ぱっと見は単なるモノのやりとりのように見えるかもしれないのですが、ハートが満たされている人って溢れてくるものをそこに一緒に乗せてくれるのですね。
そしてハートから出たものは、相手のハートに届くんです。
どこまでも爽やかで軽やかで温かく。
これは、実際に受け取ってみると、ほんっとうによくわかります。
カンボジアのシェムリアプを旅した時は、こんな奇跡みたいなハートのやりとりを、連日いたるところで体験しました。
まず自分を満たしそのうえで溢れ出るものを惜しげなく人にも分けてあげる、そんな豊かなやりとりがどんどん広がっていったら、どんなに素晴らしいだろうなあ!と、あらためて思ったできごとでした。
はい、おだちん♪
いやあしかしこうしてみると、なんとまあ、プクプクの手のひらだこと。
もっと薄くて指の細い、ネイルや指輪の似合う華奢な手だったらどんなに素敵だろう・・・思春期の頃はこの手が相当なコンプレックスで、ピアノを弾く時以外、人前で手を出すのも嫌でした。
しかし、いまや「ゴッドハンド」とも呼んでいただけるのは、この分厚く熱を帯びたこの手のひらがあってこそ。わたしのたいせつなお仕事道具です。
私はこの人生で自分を生かして使うために、この手を選び、装備して生まれてきたのですよねえ・・・なんとも感慨深いです。