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宿題をするときがきた!

ひとりごと

先日、とあるところで順番待ちをしていました。

そのあと人と会う約束があったため、あとどれくらい待つのか尋ねてみると「40分くらい」というお返事。

すると自分の番だというのに、私の前にいた髪のまっすぐな美しい女性が「お時間がないのならぜひお先にどうぞ」と、ポンと席を立って私に順番を譲ってくださろうとするではないですか。

もちろん私はいちどもお会いしたこともないし、まったく知らない方です。

「えーっ、嬉しい。いいんですかっ?」とこちらもありがたく譲っていただきつつ(こういうときに「とんでもない!いいですいいです。また来ますから」などと口をついたりしなくなったところに私の成長の跡がみえます)、ちゃっかり片方の手はコートのボタンをはずし始めていたりして。

「何かお礼をしたいのだけどいま差し上げられるものがなにもなくて・・・」とからっぽの手を差し出すと、スっと両手を広げてくださったので、すかさず「ありがとう!」とその方の胸に飛び込んでギューッと大きなハグをお返しさせていただきました。

こういったコミュニケーションが取りやすい特別な場であったことは脇に置くとしても、もしもほんとうにこういうやりとりが日常的にどこでも行われるような世の中だったら・・・て、これもまた理想論でしょうか。

互いにあるものを分け合うというシンプルな行為が循環するだけでこんなに幸せになれるなんて・・・数年前のカンボジアでの体験がまたよみがえりました。

先日電車内で、無邪気にはしゃぐ子どもたちと険しい顔をした大人たちを見くらべながら、知人がしみじみとこう言いました。

子どもの頃はみんなあんなに清々しい表情をしているのに、いつから人は難しい顔をして生きるようになるんだろうねえ。

そうね、私は毎日そのことばかりを考えて生活しているよ。と言ったら「えーっ!そうなの??」と言われました。驚くようなことなのかな。

なんかおかしな世の中だな、という思いから、単なるボディセラピストとしての活動から軸が違う方向へ動き出したのが馬車道にサロンを構えたとき。

本来の自分自身とは違うものを追いかけて奥歯を噛み締めて生きている女性たちの魂の救済に、ほんの一役でも買えれば、という思いからはじめたことが、やがては社会全体を変えるためには子どもたちと関わろう!と別の活動へと発展し・・・しかし私のどんな活動さえも結局は焼け石に水のような気がする日もあります。

私個人にできることはわずかですし、時間も体力もこの地では有限です。

しかし目的を決めてこの地に降り立った以上、思い描いた現実のために自分の力で創造を繰り返していくだけです。

なぜこんなことを急に言い出したのかといえば、こんなことわざわざブログで書くことじゃないかもしれないけど、どうやらいまこそがこれまで先延ばしにしてきた課題に取り組む時らしいので。なんとなく「らしい」という言葉を使って人ごとらしさを演出してるけど、私のことです。

セッションを受けにみえるご相談者さまには「あなたの課題(封印してきた過去やトラウマだったりします)に正面から向き合うときですよ」となどと申し上げ、ときには手厳しくハッパをかけたりもしておる私ですが、なにも「私だけが特別でなにもしなくてよい」というわけではなく。

私には私の、いわば「人生の宿題」ともいえる課題があるのです。

これまでにもこういった課題をクリアするチャンスはなんどもありました。しかし今回のは、いずれそんな日が来るだろうと薄々気づきながらもずーっと向き合うことを避けてきた最上級クラスの課題です。

でもいまそれがこうして目の前に浮上しているということは、つまり「いまなら準備が整っているよ」ということでもあります。

プライベートなことなので詳しく述べることはしませんが、いうなれば生まれてきたときからずっと、私が私に課してきた高い壁を、自ら壊していくための試練ともいえるものです。

今回ばかりはとても控えめに言っても決して楽なものではないなーという気はしています。

でも。せいぜいその過程を楽しんで進む決意はしました。これが次なる課題への単なる通過点であろうことも知りつつね。

だって生きるということはプロセスを積み重ねていくことだから!

石とホロスコープの読める人が見たら、もっか通過中とその課題がまるわかりの丸裸な個人情報。隠すつもりはないですが、さすがに拡大はご容赦ください(笑)

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