人気のラブラドライトの原石です。
つるつるに磨かれたものは日常的によく見かけるのですが、このようにラフな状態のものにはなかなかお目にかかれません。
この石は、みる角度によってはなんのへんてつもない地味な石です。
素敵な色の側面は、それがきれいに見える角度から眺めないと見えないのです。まるで別の石です。
この石をみるとき私はいつも、強い夕日の当たる岩場の浅瀬を連想します。
夜の暗闇がすぐそばまで来ていて水の中はすでに暗く、岩にあたって水面が角度を変えるその微妙なタイミングで、輝く水中の色をかいま見ることができる・・・そんなイメージです。
でもさっきまで見えていた色も輝きも、その角度が少し変わるだけで消えてしまいます。
そして次の瞬間、別の色が今度は少し離れた違う場所で輝き始めます。
しかしそれも角度を変えるとふたたび消えて、また別の場所の輝きを映し出す。
その繰り返し。
石を片手にためすがめつ観察しながら、これってもしかしたらいろいろなことがらにあてはめても言えることじゃないかなあ、なんて考えてしまいました。
私たちはついつい同じ角度から、または好きな角度からしか、ものを見ていないかもしれないってこと。
そういえば角度を変えれば、で思い出したけど。
誰でも知っているエジソンの言葉に
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」
という有名なフレーズがあります。
学校の先生からも両親からも「あんな天才ですら99%の努力が必要だと言っているんだから、凡人であればなおさら努力しなければならない」と教えられた気がします。
ところが最近になってこの言葉がエジソンが本来意図した意味で伝わっていないのだということを知りました。
エジソンは「1%のひらめきがなければ、どんなに頑張ったところで無駄な努力である」と言いたかったのだとか。
昔から「痛みなければ進歩なし(No pain, no gain)」のような、ど根性主義的な美談が好まれますが、努力至上主義をうたう人たちの目には、同じものを見てもほーらやっぱりね!というふうにうつるのしょう。
ラブラドライトは、自分の見たいようにしかものを見ることをしなければ、思考も解釈も限定的に狭まってしまうのだよ、と教えてくれているように感じます。