だから私はだめなのよ・・・
ご相談をお受けてしていると実によく聞くフレーズです。
人間の身体はその全体でバランスを取っているので、膝の痛みの原因が、腰や首や足首にあることも少なくありません。
そういった面からアドバイスを求められて、姿勢や立ち方、歩き方のチェックやアドバイスを行うことがあるのですが
「私はこう肩がすくんじゃうからよくないのよ」とか、「骨盤の向きがいけないのよね」とか、しまいめには「だから私はだめなのよー」
などなど、挙げ出したらきりがないほど、強い否定や反省の言葉を多くの方が口にされます。
気持ちはなんとなく分からないでもないのですが、そんな憎しみをこめて否定をしないでくださいませ。
それに、それまでの行動や考え方がいまの自分を作ってきたのですから、そこを全部否定してしまうのはいまの自分にも失礼なような気もします。
自己否定がうむマイナスの連鎖
この否定するという行為、これ自体が実はちょっとやっかいだったりします。
というのも、これをやっちゃだめ!これが正しくてこれは間違い!と強い否定意識を持ってしまうと、「間違ったこと」への反発意識が強すぎて身体に妙な力が入ってしまい、ぎくしゃくしてまっすぐに立つことができなくなってしまうから。
目指す目標に向けて、今まではこうしてたけど、これからはこう変える。これが私の新しいやりかた。
そんなシンプルで前向きな意識づけでいいと思うのです。
現実を変える意識のチカラ
身体はとても素直です。
さきほどの否定の心しかり、意識ひとつ、五感から入ってくる情報ひとつひとつにも、私たちの筋肉は即座にかつ敏感に反応しているわけです。
例えば車の運転。
乗り物って実はドライバーの意識の影響をとても強く受けるのです。
ドライバーが意識した目線の先に向けて、乗り物は動いていきますよね。
特に、身体全体を使って乗るオートバイは、その傾向が顕著にあらわれます。
コーナー直前でなぜかコースの外側の障害物が気になりそこに意識を向けたままコーナーに入ったりすると、そちらに目線を送ってもいないのに筋反射の働きによってハンドリングに無意識の微細な入力がされてしまい、スムーズなコーナリングの妨げとなることも。
最悪の場合、転倒!なんてことにもなりかねません。
よくもわるくも、意識を持って存在するということが、それだけで現実を変えてしまう力になり得るのです。
現状そのものをそれとして受け入れ、意識を持って変えてゆく。
変化がスムーズでない場合は、もっと根本的になぜそうなってしまうのかを見極め、向き合い、原因を排除し、新しい方法で前にすすむ。
そんなに簡単じゃないよー、なんて声も聞こえてきそうですが、じゃあなにが難しくさせているかというてんにきちんと向き合ってほどいていくことで、小さくても必ず糸口は見つかるものです。
そんなに頑張って自分自身を否定することは痛みを伴うだけでなく、かえってものごとを難しく遠回りにさせてしまうのになあ、というのが、最近の私の思いなのであります。