今月の特別メニューをアップしてすぐ
「自分の身体にしっかり繋がってない。それっていまの私のことだ!」
とさっそく連絡をくださった方。
あれこれ考える以前に感覚でピン!ときたタイミングですぐ動く。
私も意識をしていることですが、いうほどうまくはいきません。
直感でおっ!で思っても、でもなー、とか、そのうちねー、なんて思っているうち日々に紛れてしまう・・・これでチャンスを逃してることもきっとあるでしょうね、あちゃ。
実は小さなことですが、去年末よりヘアスタイルチェンジのタイミングを先延ばしにしています。
改めて見習おうと思いました。
さて、もう松も明けるいまさらのタイミングですが、ここで私の今年のテーマをちゃんと言葉にしてみようと思います。
「自分自身をよく知りものごとの本質やタイミングを見極め、流れに乗って迷いなく動くこと」
これをいま流行(私の中で)の、漢字ひと文字で表すと
知足から「知」。
このブログでも自分を知ることについて鬱陶しいくらいしつこいくらい書いていますが、私自身もそれを日々実践しているひとりです。
そして「知」には、物事の本質を見抜く、正しく見極めるなどの意味もあります。自由にのびのび動くことがテーマだった去年から、今年はタイミングを見極め流れに無理なく乗って行きたいとの思いを込めて。いい1年にしたいと思います。
ところで知るといえば。
今月4日放送のNHKの番組で登山家の栗城史多さんを特集していたのですが、その中で栗城さんがリハビリトレーニング中にかけられたという言葉「山を見るのではなく自分を見て登れ」という響きにドキンとしました。
遠くばかりを見ていても自分自身を見ていなければ、結果が伴わないばかりか大事故に繋がりかねない、という解釈でいいでしょうか。
自分の生命もかけずに私ごときが言うのもおこがましいのですが、これってスケールこそ違えどほんとうになんにでも言えることだと思います。テレビの前で思わず唸りました。
それにしても。
番組で表現されたことなんて彼の人生のほんの一部のほんの上っ面の切り取りのはずなのに、それでも「自然」と「自分自身」に対峙するという生き方のあまりの厳しさ、逃げ場のなさに、テレビの前でぐぐぐうと息が苦しくなりました。(私の想像の域を凌駕していて、こうして言葉にするはしから嘘っぽくていやになります・・・)
ところで、前にも書いたけど、テーマや目標はやっぱり一度表現するとぐっと色が濃くなる気がします。見えないものだけど感覚的に実体化するような。
それに外に向かって表現することで、自分でも「ああ、これからこっちの方向に自分は向かって行くのか」って客観的に確認できますしね。
あ、あと。
こうなるといいな、と思って一度書いてみたけど、数ヶ月後に気づいてみたら全然違った方向に向かってるということも、ままありますよね。
でもそれ見て「ああ、自分てまったく一貫性がない」とか言って自分を責めてしまうのなら、それは無意味だと思います。
なぜって、私たちって細胞の分裂のスピードで常に変化していて、神経系の一部を除けば3ヶ月もすればぜーんぶ入れ替わっちゃうんです。
だから、もう3ヶ月前の自分はべつの自分なのですね。
感情や意識や記憶があるから、それに見た目もそう変わらないから、ずっと変わらない同じ自分だって思ってるだけで。だから目標もテーマも生き方も興味あることもどんどん変化していっていいと思います。
というか、変化して当たり前だと思うのです。
というわけで、もし今後私がまったく違ったテーマを掲げるようなことになってもびっくりしないでくださいね。
あ、でもひとつだけはっきり言えることは、私のこのお仕事にかけるテーマはこの先も変わることはありませんし、私はこの先もずっとこのお仕事を続けていくつもりだということ、です。