自分自身の
本当の姿を思い出す旅へ
セラピストライフ

創造の極意はそのプロセスにたっぷり隠れている、というお話

なんてことない、パズルの話です。

数日前にまるで降って湧いたかのように突然「あ、ジグソーパズル」とポッと頭の中に浮かびました。理由はわかりません。

たぶんキッチンで皿をあらっていたときだと思います。こういう閃きはなぜか、たいてい皿洗いをしているときに起こるのです、なぜですかね。

はじめは「えー、ジグソーパズル・・・??」とも思ったのですが、でも、そういうときは「なぜ」とか「なんのために」とかその他物理的な事情を考えるより前に、さっさと行動した方が必ず面白い方向に展開するということを経験上知っていますので、今回も迷わずそのようにしました。

売り場にズラーっと並んだ様々なパズルの中から「できそうなもの」ではなく「気に入ったもの」をひとつ選び帰宅。

手にしたのは生まれてはじめて挑戦する1000ピースのジグソーパズル。小さいものでじゅうぶんだと思っていたのに、気に入った絵柄が1000ピースのものだったんです。

実はこれまでの人生で完成させたことがあるのは、記憶にある限りA3サイズ程度のもの2回だけ。世界遺産やカッコいいモノクロにも手をだしたこともありましたが、すべて挫折して人にあげてしまいました。向き不向きがあるとすれば、向いていないのかもしれません。

まともに考えたら無謀なことを赴くままに始めてはみたものの、しかし今回、これが想像以上に楽しくて驚いています。

1000個のピースがすべて在るべき場所にぴたりと納まることが、期待されるゴール。誰がどのようにやっても、できあがるものは決まっています。ひとつしかありません。

ジグソーパズルのアイディアが降ってきたときは「バラバラにした絵をまた繋げなおすだけなんて、全然クリエイティブじゃないんだけどなあ!」なんて思いつつ始めたのですが、とんでもない!

実際に手を動かしてみたら、創造の極意はそのプロセスにこそたっぷり隠されていることに気づきました。

求めるカタチある最終形態に向けて、戦略を立てて合理的に進めるのもよし、ただひたすら感覚的に手を動かして行くのもよし。私はそのどちらのアプローチも同じだけ楽しいと感じるので、局面に応じて切り替えてすすめています。

さらにこれはやってみてはじめて気づいたのですが、パズルを組むという作業は、自分の思考や肉体の反応を観察するのにはもってこいです。これは非常に面白い発見でした。

自分の思考が現実を創るというのを、まさに最速最短で観察するような場面もたくさんおきます。

まるで亀の歩みでわずかずつしか進めないため、完成までどれくらいかかるのか見当もつきませんが、そのプロセスをいまたっぷりと楽しんでいます。

脳の通常はあまり使われていなかった部分が刺激されるせいか、とても疲れて眠くなりますがまったく嫌な疲労感ではありません。

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