Eテレの「美の壷」という番組が好きでよく見ています。
暮らしの中にふとある美にスポットライトをあてたゆるく穏やかな美術番組で、日曜深夜の風呂上がり、頭を緩めてぼーっと眺めるにはちょうどいいのです。
先日のテーマは「石」。タイトルもズバリ「ただの石ころ」。
いしころってその言葉の響き自体がもうそれだけで優しくて嬉しくて、無邪気な気分で座りました。
画面の中では立派な大人の男の人が、浜辺で夢中になって名もなき石ころを拾い集めていて、それを見て私もうらやましくなりました。
何を隠そう私の石好きは、子供の頃からの石ころ好きがそのルーツ。
ズボンのポケットにゴロゴロとお気に入りの石ころを詰めて帰っては「まーたこんな石ばっかり拾って・・・」と母がよく呆れていましたっけ。
拾った石は水でざぶざぶ洗ってあらためて眺めてみると、拾ったときより感じ方が変わっていたりして、そんなことも面白いと思っていました。
子供なりに、子供だからこそ、純粋に石というものの存在や個性に惹き付けられていたのかもしれません。
いまではその頃よりはだいぶ意図を持って石と接する機会は増えたけど、やはりプライベートでは無意識に接していますね。
屋久島の海岸で拾った珊瑚の化石
石とおつきあいをしていると、たびたび私の考えの枠を超えた不思議な体験をすることがあります。
ちょっと迷ったけど、今日はそんなお話をシェアしたいと思います。
石がまるで自分から進んで持ち主を決めて旅立って行ったようなお話。よろしければおつきあいください。
旅立って行ったカルサイト
もう半年以上前のことですが、あるところでオレンジカルサイトと呼ばれる天然石と出会いました。
つやつやのオレンジ色のそれはハート型をして、私の手の平にころんとちょうどよく収まる大きさ。
オレンジカルサイトは様々な色のカルサイトの中でも、ひときわエネルギッシュで生命力に溢れ、やる気を補ったり活力を漲らせるクリスタルとしても人気です。見た目も鮮やかなオレンジ色で見るだけでワクワクするような快活さに溢れています。
私が手に取ったハートの石も、明るい太陽のようなポジティブなエネルギーを放っていて、ついつい笑顔で話しかけたくなるような、無邪気な子供のような、愛らしい存在でした。
でも実を言うと、そのときの私の行動はいつもの私らしくありませんでした。
私はどちらかというとゴツゴツとワイルドな形の天然石が好きで、そんなふうに意味のある形にかたどって研磨されたものを好んで手に取ることは滅多にないのです。
でもそのときはごく自然にそれを手に取り連れて帰ることにしたのでした。
でも特に気に入って手に入れたわけじゃないし、それはそのまま数ヶ月間、サロンの棚にただぽつんと置かれていました。
そうしたある日のこと、ある知人と話していたら突然そのカルサイトが猛烈に気になり始め、私はどうしてもそれをその人に持っていてもらいたくなりました。
突然のことに戸惑って遠慮する知人を押し切って、なかば強引に持たせたことを覚えています。
さらに持ち主を変えて渡り歩いたカルサイト
それでそのカルサイトと私との関わりは一旦終わりました。
そんなこともすっかり忘れていた数日前。
あのときの知人がひょっこり顔を見せてくれました。
あれこれ話をするうち「ああ、そういえば・・・」とカルサイトの歩いた旅の話を聞かせてくれたのです。
私が託したカルサイトは、その後、彼女の自宅の棚でやはりころんと置かれていたそうです。
[chat face=”woman1″ name=”友人” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]まあかわいいからいいけど[/chat]
ほどなく彼女が公私ともに信頼していた人が難しい病に倒れ、彼女は暇をみつけては入院先にその人とその奥さんを励ましに通うようになりました。
ある日、病院に出かけようとした彼女はふとそのカルサイトに目を止めました。その瞬間、彼女の心にこんな考えがひらめきました。
[chat face=”woman1″ name=”友人” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]これを持ってあの夫婦に届けたい・・・[/chat]
届けたい、というより、そうしろと呼びかけられている、そんな感じがしたそうです。
しかし同時にマインドは葛藤を始めていました。
明日をも知れない深刻な病床にいる人にあてて、こんなハートの形をした石を持って行くなんて。
ばかにするなと怒りを買うかも知れない。
迷信めいた行動が、繊細な心を逆なでするかもしれない。
「でもね、なんだこんなものって投げ捨てられてもいいと思ったんです。
それでもやっぱり届けたい、というか届けなくちゃと思って」
葛藤の末、頭の中に聞こえてくる声に従いカルサイトを握りしめて病院に向かいました。果たして、ご夫婦はこの石との出会いをとてもとても喜ばれたようです。
ちょうど手のひらにすっぽりおさまるサイズのハートのカルサイトは、お互いの手と手を重ねた中に握りしめるのにちょうどよく・・・
あんなに喜んでもらえて嬉しかった。
そしてあのとき意味が分からないまま、もらっていってとてもよかった、と話してくれました。
石が人を呼ぶといいます。あるものは意味や約束があってそこにあるのだと。
ほんとうにそうなのかは石に直接聞いてみないとわかりません。
しかしやはり私も知人も、その石を必要とする人のところへの橋渡し役を、まったく知らずに買って出たんじゃなかと考えています。
人のちっぽけな思考を超えたはるかに大きなところ。
そこからの呼びかけに答えたのだと思います。
ある人の人生を、肉体を持って生きた最期の時間を、その最愛の人とともに支えながらハートのカルサイトは静かに見送ったのだと感じました。
そしてたぶんこの先もきっと。