「どうしても合わない人がいる」ということは、あることだと思います。
私たちは個々それぞれに違った個性を持っていますし、自分自身を表現する方法も、他人と繋がる方法もみな同じではないからです。
そしてみなひとりひとり違った自分だけの「物差し」を持って、自分の行動や発言を作り出しています。
実はこの「物差し」はこの世界中に人やコミュニティの数だけ存在します。
小さな頃からよく「相手の身になって考えなさい」などと言われたものですが、相手の身になってみたところで、最初から定義づけられたひとつの「物差し」に合わせてみているのであれば、結局はあまり意味がない気がします。
ときどき自分とは相容れない人をさして「私は(あの人のことを)まったく理解できない」というようなことを聞くことがあります。しかし自分の物差しを他人にむりくり当てがって見ているんですから、これは当たり前です。
相手も自分と同じように固有の物差しを持っているのだと認識したら、相手を自分の基準で理解しようと努力すること自体がどれだけ的外れなことか、お分かりいただけるのではと思います。
相手には相手の物差しがあって、自分には自分の物差しがある。それでいいんです。その事実をただ容認すればいい。
それだけで無意味な衝突はぐっと少なくなるはずです。
社会が成熟して情報が氾濫し、価値観が多様化すればするほど、人は本来の自分のものではない物差しを抱え込んでわけがわからなくなるのでしょうか。
家庭や職場、グループやコミュニティ、自分に強い影響を与える他者の物差しに自分を合わせまくっているうちにいつの間にか他人のものさしを自分のものだと思い込んでしまい、自分固有の物差しをどこにしまったかわからなくなってしまっているような人は、間違いなくご自身のエネルギーの流れにもその影響を受けています。
特にエネルギーに詳しくないという方でも、おそらくきっとこのあたりのことは感覚的にご理解いただけるのではと思います。
一般社会の通念に照らして生きるためには、ときには自分以外の物差しに合わせなくてはならないことがあるのは仕方ないことだとは思います。
しかし自分にとって必要な物差しは、自分の芯と繋がった特別な自分のための1本だけ。
本来はそれだけで十分なんです。