ここ数週間の太陽のエネルギーはとてもパワフルで、山から降りてくる風は清々しい空気を運んできます。
私は毎週のようにあちこち飛び回っていますが、特にいま都心部にお住いの方もぜひ億劫がらずに足を伸ばして、なるべく空の広い場所へご自身の身体を運んでいただきたいな、と思います。
いま集合意識的に、追い立てられるような気がしたり、変わらなくちゃと焦ったり、自分がちっぽけに感じたり、自分のことがよくわからなくなるような不安定な状況に陥りやすい時期でもあるのですが、こんなときこそ両手を大きく開いて息を吐き、緑の風に吹かれて欲しいと思うのです。
状況的に余裕がないとき、切羽詰まっているようなときは、私たちは自分のオーラや肉体のフィールドのありとあらゆるところからスペースを失います。
物理的には胸郭のスペース、肋骨の間のスペース、眉間の隙間も少なくなりますね。両肩の間も狭くなるし喉の奥も詰まる。
緑という色は、スペースを作る、という色でもあります。スペースを言い換えればそれは 余裕 でもあります。
山や緑の多いところに行くと不思議と胸が開いて呼吸が深くなるのは、内側に緑のスペースができるから。
ハートの緑が満たされるから。
風はつめたいもののポカポカ陽気の中、気持ちよくドライブしていたら、突然道路の右側に信じられないほどの巨木が目に飛び込んできました。
一瞬で通り過ぎてしまったのだけど「挨拶したい!戻ろう、戻ろう!」と言って、車をとめて見にいきました。
実際に真下で見るとほんとうに大きい!
信じられないほど太い幹は、地上1.5メートルほどのところから3本に別れていて、その枝ぶりが実に圧巻です。
写真では枝が真横に張っているように見えるけど横ばかりではなくて、実は手前側にも10メートル以上張り出しているんです。
あんなに重たそうな枝をなんの支えもなしに悠々と伸ばしているなんて、なんて逞しいんだろうと感動しました。
この季節の薄いグリーンの新緑も美しいけど、秋の紅葉も見ものだろうなあ!
なぜ私がこれほどまでに木に惹かれるのかはわからないけど、子供の頃に森の木が夜中になると根っこを自らズボリと引き抜いて、その引き抜いた根っこを足のようにして大股で自由に歩いたり会話したりすると信じていて、そのイメージがあるからかもしれません。
いまでも気に入った木に出会うと、その木の歩く姿を想像しています。
そうとは知らずに車を止めたけど、木の脇の道が参道になっていて、この奥にとても静かな神社がありました。
呼び止めていただいたご縁でお詣りをさせていただきました。